どうしたら、水と波動のあり方を一般に伝えられるのか?
そもそも、1990年代に世界中で大きな話題となった「水の結晶写真」はどうして生まれたのでしょうか。
江本勝は、1980年代に、日本で初めて波動機器というものをアメリカから我が国に導入し、波動を利用して体内の水にアプローチすることで、様々な不調や心のアンバランスな状態を調整する強力なサポートになることを実践し、普及につとめていた頃、現在の時代と違い、目に見えない分野に対する一般の理解はなきに等しい状況でした。
「この波動という目に見えない世界で働く価値ある大切な現象をどうしたら一般に理解してもらえるのだろうか?」
次第に、江本勝は、このことについて頭を悩ませるようになっていきました。
「どうしたら、水と波動のあり方を一般に伝えられるのか?」
一時期、江本勝は昼夜その事ばかりを考え、何か良い方法はないものか、あらゆる方法を考え、試し、試行錯誤を続けていました。
「そんな都合の良い方法など、ないのではないか?」
やる気とポジティブの塊である江本勝も、さすがに自らの強烈な思いがしぼんでいくような思いで、疑心暗鬼に暮れていたところ‥
神様は、その答えのメッセージをくれたのです。
それはある冬の頃でした
あたり一面、雪景色が広がる場所に身を置いていた江本勝は、その環境の中であるインスピレーションが湧いたのです。
「雪の結晶には良く知られているように形がある。雪はそもそも水じゃないか。であるなら、純粋な水に特定の波動を記録させたものを凍らせ、結晶をつくらせたら、その形は、それぞれの特性を表すのではないだろうか!? それこそ、水に波動が作用した証拠と言えるのではないだろうか!?」
「これが成功すれば、一般の人にも波動の存在を示すことができる!!!」
さらなる試行錯誤の中、江本勝はその「水の結晶写真」を求めてトライ&エラーを繰り返しました。
なぜなら、そのような試みは、人類史上の中でも初めてのことだったからであり、そのような発想に至ったのも、まさに神がかりといってもよいことだったと、考えられます。それこそ、江本勝がそもそも魂に抱いてきた聖なる使命だったのでしょう。
試行錯誤と言っても、以前の暗中模索状態のそれとは違います。回答のイメージは出来ており、希望の光がそこには確かに差しています。
遂に、その甲斐あって、江本勝は最初の「水の結晶写真」を撮影することに成功します。
この成功を皮切りに、水に文字を見せたり、音楽を聞かせたり、各地の優れた名水を利用したり、様々な方法で水の結晶の写真を撮り続けました。中には、あえて良い波動だけでなく、適切な波動と不調和な波動(平和vs戦争、愛vs恨みなど‥)の対極的な周波数を描き出す水の結晶写真を対比させたりもしました。
そのような試みを19994年9月から本格的に開始し、1999年4月までに撮影したものを最初の総括として世に問うべく出版されたのが結晶写真をふんだんに掲載した書籍『水からの伝言』だったのです。1999年6月のことでした。
幸いだったのは、最初から日米2カ国語対応で本を作ったということでした。それゆえに、日本国内よりも海外で「水の結晶写真」の存在が大変な話題となり、江本勝は世界行脚の道へと入っていくわけです。
少なくても、海外ではノーベル賞受賞の著名な科学者や、水の最先端科学を研究し水の驚くべきポテンシャルを解き明かした科学者をはじめ、知性と柔軟な思考に優れた数々の科学者から、この「目に見えない世界を視覚化した」功績とその活動に対して、大いなる理解と賛辞をいただいています。
皆さまにご理解いただきたいことは、確かに水の結晶写真に対してより科学的に検証していく必要性は確かにあります。しかしながら、単純に「トンデモだ」と切り捨てるべき事象ではないことも事実です。であるなら、これだけの著名な一流の科学者に同意してもらえるはずもないからです。また、国連での江本勝自らによるスピーチなども実現した事実が示しているように、その価値は世界レベルで認められている部分があることも、ご理解いただきたいと願っています。
それを受けてさらに考えるのは、「水の結晶写真」がもつ潜在的な価値は、新しい時代のより高い次元に科学が向かうための試金石の一つである、ということではないか、ということです。少なくとも、今、私たちは、その黎明期に立っているということに間違いはないのです。
内容は、「江本勝がご存命なら彼とどんなお話がしたいでしょうか?」というような質問です。
水の結晶写真についてさらに詳しくは以下を参照ください。
「水の情報記憶」について
https://hado.com/water-memory/